火曜日, 7 of 5月 of 2024

ペパーランド小宮山さんインタビューその2

(その1からのつづき)

塗料を初めて買ったのはハンブロールでした。マジックや水性絵の具では塗ってみてましたけどね。
従弟の家が立川で、その立川の中武デパートに城山模型というのがありました。
つやありのグレーかなんかで、塗っても全然乾かなくて、それをこぼしてランドセルにくっつけて、そのランドセルに教科書を入れていって、学校の机の上にもグレーが付いて。
それ以来、ハンブロールの塗料は乾かないんだな、って。(笑)
模型自体は親戚のおにいさんからもらったレベルのB58ハスラーだったと思います。

色を塗ったのはそれが初めてで、イマイのサンダーバードとか、マスコットシリーズとかマルサンの50円のとかはさんざん作りましたけど、初めて塗料を買って失敗したのがそれが初めてでした。
ハンブロールのほうが安かったんですけど、多分売れなかったんですよね。
塗ればかっこ良くなるんだと思って。
薄め液どころか、エナメル系かラッカー系かなんてことも知りませんでしたし。
筆で塗ったんだろうなあ、と思うんですけど記憶が曖昧で。
とにかくランドセルにくっついたという思い出が。(笑)

本格的に塗装を始めたのは、零戦かなんかだったと思いますねえ。
戦車はあまり作らなくて。飛行機のほうが多かったですね。
あと影響を受けたのは同じマンションに住んでいた小学校の同級生のお父さん。
お父さんがソリッドモデルとかがすごく上手な方で、遊びに行くたびに、こういうのを作れるようになりたいなあ、と。

小学校の図画工作クラブみたいのに入れば、学校に堂々とプラモデルを持っていける。(笑)
その頃作ったのはキャラクター物が多かったですね。
サンダーバード、マイティジャック、ウルトラQとかはちょっと上の世代の人たちで
僕らは仮面ライダー、マジンガーZとかですね。
超合金を買うお小遣いがないのでプラモデルで、という。(笑)

年代的に考えるとマジンガーZからヤマトまで2年くらいしかないですけど、その2年は大きかったという気がします。
実はガンダムにハマったことがなくて。
中学、高校でもヤマト一色だったし、それと並行して飛行機、それもプラモデルよりもユーコンとかラジコンとかに夢中になってました。
いまだに、偉そうに言うと
「模型飛行機ってのは木を削って作るもんなんだよ」(笑)。

ーー本格的に出品したり、大会に出したりはいつぐらいからですか?

ヤマト2以降くらいでヤマトショックが収まってから、雑誌「宇宙船」をみて、特撮物とか横のつながりを意識するようになりました。
編集をやっていた聖咲奇(ひじりさき)さんから連絡をもらって、模型特集を手伝ったりしてました。
その頃が、模型を作ってお金をもらった始まりです。

***その3につづく!