ペパーランド小宮山さんインタビューその3
(その2からのつづき)
ーーコンテストの常連とかではなかったんですね。
「キャラクターエイジ」に載ってらっしゃる栗原孝明さんは、潜水艦のガレージキットで有名なプロの方ですが、作る潜水艦の排水溝がまったく同じ形でびーっと一列に綺麗に並んでるんですよ。
(とここで、おもむろに海底軍艦とダグラムの模型が出てきました)
その当時に作ったものが残ってます。
フルスクラッチでつくった海底軍艦と、(市販品をジオラマにした)ダグラム。
(台座を裏返して)昭和57年5月って書いてある。ダグラムはどこかに出したというものではないですが。
ーーガンダムは興味がなかったけれど、ダグラムは作ってみた、ということですね。
ダグラムは好きでした。ボトムズも好きです。
最近のは、まあ。(笑)
なんで作ったかというと、80年に杉並公会堂で第一回特撮大会というのがありまして、海底軍艦轟天号の3尺モデルというのが東宝の倉庫から発見されて、欠損していたドリル部分を作りましょう、と。
裏に書いてあるある。昭和56年ですね。
一番ネックなのがこの排水溝、海底軍艦の泣かせどころです。
ドリルも大変で。同じ頃海底軍艦をやっている人たちも、ドリルをどうする、というのがネックでした。
これは細く切ったアルミをまいて、で、この螺旋が3ケ所から始まっていて、これが海底軍艦の特徴です。
ちょっと前でしたらこれを背中につけて、「やりがい!」とか。(笑)
古い世代だとナゾータワーとか。(大笑)
自分の作品ではこのあたりが最古の部類にはいりますけど、作ろうっていう意欲はこの頃のほうがありましたね。
ものが無いほうが。
今は待ってればどこかが(いい商品を)出すよ、とか作るのかったるいよって。(笑)
ーーダグラムがミリタリージオラマっぽい始まりでしたよね。
ガンプラのヒットがあればこそ、とは思いますが、ダグラムとかボトムズとかは大河原邦男さんが一番やりたいことがやれた時期じゃないかと思います。
ーースタートレックの模型にはどのあたりで興味を持たれたんですか?
スタートレックは、ミドリのエンタープライズを兄が持っていて、50円のプラモデルも買いましたけど、意識し始めたのはやっぱりTMP(79年の劇場1作目)を観てからですかねえ。
もっとも正直なところ、映画館で初めてみたときにはぐうぐう寝ちゃいました。
出航するまでは起きてたんですけど、ヴィージャーに入ってからは1時間半くらい寝てました。
気がついたら終わってた。(笑)
はまったのは、2(「カーンの逆襲」)を観てからですね。
テンポがよかったし、すごいノレたし、はまりました。
第一作を見直したかったけど、ビデオがまだ高くて。
ちょうどテレビで「スペース1999」の後番組で、宇宙大作戦の再放送が始まったんです。
ノベライズも読みました。2のヴォンダ・マッキンタイヤのノベライズは、本編以外の世界観に広がりがあって、それは賛否両論あるところなんですけど僕ははまりました。
で、エンタープライズを作りたいなあと。
初めて電気を仕込んでエンタープライズを作ろうと思ったけど、完成しない。(笑)
AMTのキットです。一番最初のキットには香港製のムギ球と電池ボックスもついていて、窓に穴が空いていたんです。
当時の雑誌ホビージャパンには柳沼さんという方の作例が出ていて、光漏れには内側にアルミホイルを貼るといいとか知ったんです。
その柳沼さんの作品が久が原にあるモデルエスという模型店にあると、でお店にいったら本物があって。
お会いしたら柳沼さんがトレッキーだったので、スタートレックのメタルフィギュアとかもあって、お話を伺ったらそのあと話が弾んで。
そしてアメリカのモデラーが作られたAMTの電飾をいれたエンタープライズの写真があって、それがものすごく素晴らしかったんです。
こんなふうに作りたいなあ、と。
発光ダイオードとか光ファイバーとか、シリコンゴムとか型取りとか。
そういうことを知り始めて、それがルネッサンスというか、素材革命があったというう感じがしますね。
***その4につづく!