さてさて、デルタ宙域に飛ばされたヴォィジャーのごとく、我々、日本のスタートレックファンには苦難の日々が再び始まりました。
無事、日本でスタートレックオフィシャルファンクラブが蘇ることが出来るのか。
すべては椚山さんの双肩にかかっているわけですが、その情熱の支えに少しでもなれるように、我々も頑張って行きたいと思っています。
皆様方の熱い声援、支援こそがファンクラブ再開への近道です。
どうぞ、お力をお貸し下さい。
と、いうわけで、脚本家の三井です。
今回はタイトルの通り、ピカード艦長にブロードウェイでお会いした話です。
と、言っても、中野ブロードウェイでピカード艦長のフィギュアを見つけたという話ではありません。
皆さん、ご存じの通り、ジャン=リュック・ピカード役のパトリック・スチュアート氏はイギリスの名門シェークスピア劇団『ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー』所属の俳優であり、多数の舞台に立っています。
もちろん、その活躍はイギリス国内だけでなく、大西洋を越え、アメリカはニューヨーク、ブロードウェイの舞台にも多数出演しています。
その中で、私は幸運にも2つの舞台を観劇することが出来、感激したという話をさせていただければと思っています。
まず、最初に観たのは1996年の事でした。
仕事の取材のためにニューヨークを訪れた私は、ある看板が目にとまりました。
それは、カラフルな色に溢れるブロードウェイの中で、モノクロのギリシア風衣装を身に纏った、頭髪のない老人の等身大ポスターでした。
そこに書かれていたのは『THE TEMPEST PATRICK STEWART』の文字。
それを見て思ったのは、『「テンペスト」……そうかシェークスピアをやるのか』というものでした。
そして、その先に書かれているのは……
「ぱと……ぱとらいく・すてわーと……ぱとりっく・すちわーと……パトリック・スチュアート!?」
その時、すべてが一本の線で繋がりました
パトリック・スチュアート……シェークスピア……テンペスト。
そう、そのポスターの老人はピカード艦長こと、パトリック・スチュアート氏だったのです。
全く知らなかったのですが、偶然にも、ニューヨークに渡ったその時に、パトリック・スチュアート氏がブロードウェイの舞台に立っていたのです。
もちろん、予定変更。
チケットを手に入れて、無事、観劇する事が出来たのです。
なんと、飛び込みで買ったにもかかわらず、席は前から三番目、しかも、南の島の物語であるこの芝居には、なんと、舞台上に砂が敷き詰められており、更に、音楽はミュージシャンが舞台袖で演奏するサンバ。
出演者はそのリズムに合わせて踊るまわるというもので、まさに砂かぶり席という状態でした。
私は、英語がわからないままの観劇というより、目の前でサンバを踊り狂うピカード艦長の姿にビックリ仰天したのでした。
次の観劇は2000年の事です。
その年、ロサンゼルスで行われるアニメエキスポのゲストに招かれた私は、その足でラスベガスのスタートレック・エクスペリエンスに行くつもりでしたが、ひょんな事からその時にニューヨークでパトリック・スチュアート氏が舞台に立っていることを知った私は、更にニューヨーク行きを追加して、図らずもアメリカ横断することとなったのです。
今回の作品は『The Ride Down Mr.Morgan』
優秀な保険代理人のモーガン氏が、交通事故に遭ったために重婚がバレそうになり、2人の妻の間でドタバタするというコメディでした。
この作品も英語が全くわかりませんでしたが、ウィッグを付けているパトリック・スチュアート氏の姿に違和感を覚えたものです。
さて、この『The Ride Down Mr.Morgan』を観た後にはものすごいサプライズが待っていました。
観劇を終えて劇場を出た私は、そこに停まるリムジンと出口に集まる数十人の人たちを発見しました。
その時、ピンと来た私が、その人たちと一緒に待っていると、なんと、パトリック・スチュアート氏が出てきたのです。
そして、私はパトリック・スチュアート氏にサインをもらい、写真も撮らせてもらう事が出来たのです。
この時の顛末は老舗スタートレックファンクラブ、「スターシップ・コンゴウ」の会報「星空探訪30号」に書かせていただきました。
お持ちの方は是非、そちらと併せてお楽しみ下さい。
お持ちでない方は是非、この機会に手に入れてみて下さい。
以上、三井秀樹でした。